【一口馬主】マイネル軍団【岡田繁幸氏追悼】

horse

おはようございます、ねこマスタ〜です。

競馬会の巨星墜つ。

実際にお会いしたことのある人が亡くなるというのはかなりショックです。

今日は岡田繁幸氏やマイネル軍団の一口馬主について書きます。

岡田繁幸氏追悼

マイネル軍団総帥の岡田繁幸氏が71歳でこの世を去られた。

誕生日だったらしい。

定年が70歳になろうかという時代にまだ若いですよね。

ご冥福をお祈りいたします。

僕は生で岡田さんをお見かけしたのは2度あって、1度目はマイネルの牧場ツアーでした。

ツアーでは1頭1頭説明していくんですが、悪いところも率直に話されていた記憶があります。

普通は商売で何かを売る場合、話を盛っていい所だけ言ったりするのは当たり前にあるんですけどね。

その点、岡田さんはクラブの会員さんとの信頼関係を重視していたと感じました。

会員さんの中には一人で何頭も所有していたり、毎年購入している人も多いですしね。

そんな僕も一時期マイネルの一口馬主をしていました。

2度目にお見かけしたのは競馬場の馬主席です。

友達が競馬場の一日馬主席招待に応募したら当たったので、何人かで行きました。

そうしたら近くの馬主席に岡田さんと関係者の人たちがいて、テレビで見るまんまでしたね。

熱く筋肉の話をしてましたよ。

いや〜グリーンチャンネルで見るのと全く同じなんだなあと妙に感心した覚えがあります。

で、競馬場の馬主席でも馬券は買えるんですけど、千円単位なんですよね。

なのでレースの度に下に降りて百円単位の馬券を買いに行ってました。

庶民なんで。

先日、岡田繁幸氏がお亡くなりになられたとニュースを見て、そんなことを思い出しました。

合掌

一口馬主

マイネオリーブ

今まで何頭かマイネル軍団の一口馬主になったけど、思い出に残っている馬が2頭いる。

その内の1頭はマイネオリーブ。

一口馬主になって最初に購入した馬がマイネオリーブ。

確か一口8万円だったような気がする。

それをさらに仲間5人で割ったんだよね。

最初だから安い馬でということで選んだらサッカーボーイの牝馬になった。

そうしたらこれが吉田豊君を背に福島の新馬戦を楽勝、新潟のダリア賞も楽勝。

で当時の新潟3歳Sに進んだんだけど、これも2着と好走した。

結局この3戦で引退してしまったけど、仲間みんなで大興奮したのを覚えている。

ビギナーズラックって恐ろしいね。

また、岡田さんの相馬眼も凄いです。

マイネルマックス

2頭目はマイネルマックス。

これにはもうビックリしました。

佐藤哲三ジョッキーを背に函館の2戦目を勝ち上がると、そこから函館3歳・京成杯3歳・朝日杯3歳と全部1着。

この時はもう仲間みんな狂喜乱舞でした。

ブライアンズタイム牡馬で母父ハイセイコーなんだけど、そんなに高くはなかったと思うんだよね。

その後も何頭か持っていたけど特に印象に残っているのは初期のこの2頭。

当時のマイネルは早熟で新馬戦に強いというイメージがありました。

今はもう僕は一口馬主はやっていなくて、当時一緒にやっていた仲間も就職してお金に余裕ができたからか、社台グループの一口馬主をしていますね。

社台は40分の1口なので僕には高額です。

普通に一口50万とかするから無理だわ。

馬券よりよっぽどギャンブルだろうと思ってしまいます。

だってデビューしないあるし。

あとがき

自分もそれなりの歳になってきたからか、馴染みのある人が結構亡くなる。

僕が最初に人の死にショックを受けたのは子供の頃にコメディアンの三波伸介さんが亡くなった時。

いつもテレビで見ていた人が急に亡くなるという経験をその時初めてした。

あとは忌野清志郎さんもショックでした。

RCサクセション大好きなんで。

競馬関係者では清水成駿さんですね。

競馬専門誌で1点予想する人って今もほぼいないですよ。

なんかホントみなさん、健康にはお気をつけください。

長生きだけが人生じゃないけど、健康を保って少しでも好きなことを長くやった方が楽しいんじゃないかと思いますよ。