プロフィール

はじめまして、ねこますた~です。

ゆるぶろぐというブログを書いています。

ここでは僕の自己紹介をしたいと思います。

ブログ4か月目にして自己紹介文を書いているのがそもそも何なのさ?ですが、始めるのに遅すぎることはないと、ここはポジティブにとらえようと思います。

いま何をしている人かというと、ただのサラリーマンです。

ランニングが好きで投資が好きで競馬とマージャンが好きです。

有酸素運動で健康を保ちつつ、お給料以外に投資でお金を稼ぐべく株式や投資信託・仮想通貨を運用しています。

お金に困らない人生を送りたいです。

さて、今に至るまでの僕はといえば

小さい頃は活発でした。といっても小学校1年生くらいまでです。

自分でもなんとなくその頃のことは覚えてまして、女の子にちょっかい出して泣かせたりしてました。

今だったらちょっと問題になっていたかもしれません。

小学2年生で物心ついて、急におとなしくなりました。

そのころは団地暮らしで、はっきり言って貧乏でしたね。

よくラジオ短波からアナウンサーが株価を読み上げる声が聞こえていました。

たぶん親父が一獲千金を狙っていたんだと思います。

こどもだったけど、延々と株価を読み上げる男性アナのだみ声をよく覚えてます。

僕が大人になって抵抗なく株を始めたのも、この頃の記憶があったからかもしれません。

当時は親父が会社を立ち上げたばかりで、おそらく資金繰りが苦しくて、なんども僕の貯金を借りてました。

貯金っていっても赤ん坊のころからのお年玉を使わずに銀行に預けていた10万円くらいなんですけど、「利息を付けて返すから」といって借りてました。

なので、ガキだったんですが、株だとか預金利息だとかに妙に慣れ親しんでいるという子供になりました。

そのころ、ちょっとワルのグループとつるんで商店街のゲーム機で遊んだり駄菓子屋なんかに入り浸ってたんですが、親の財布から小銭をチョロチョロ失敬してたのがバレてプチ家出しました。

友達のお兄さんに見つかって泣きながら家に帰った記憶があります。

親には怒られなかったです。

怒られなかったのが逆に効いて、「こんなことは二度としない」と誓いました。

小学校5年生の時に両親が一軒家を建てて引っ越しました。

会社が軌道に乗ってきて、それなりに羽振りがいいのは分かりました。

ただ、小学生くらいだと、貧乏だろうが金持ちだろうがあまり本人は意識していないですね。

で、ちょうど5年生だったと思うけど、とつぜん先生にぶん殴られました。

これについてはいくつかの記事で書いていますけど、それまでは先生は神様だくらいの絶対の信頼をもって接していたんですが、その日から180度変わって、先生は絶対信用しないに変わりました。

子供とはいえ極端です。

結局、いまでも先生という人たちは信用していません。

友達に先生してるのがいるけど、そういうのだけ別ですね。

ちなみに小学生の時は勉強はしませんでした。しろとも言われませんでした。

親に言われたのは、友達を大事にしろです。

これは大学生になっても言われました。

親からの最高のアドバイスだったと思ってます。

で、話は変わりますが、小学5年生の時に生徒会の選挙があって、クラスから生徒会議長の候補を一人出すことになったんです。

それにクラスメートの男子から推薦されまして、ワンワンその場で大泣きしました。

いまでいう陰キャっていうんですか。

絶対そんな役やりたくなかったんですよ。

40人の中で大泣きするってのも、いま思うとなかなか恥ずかしいです。

やりたくない選挙活動して次点で落ちてほっとしました。

意味も分からず「清き一票をお願いします」とか言ったくらいにして。

とにかく目立ちたくなかったんです。
ていうか目立つの嫌いでした。

中学生時代は友達に恵まれて楽しくやってました。

今まで生きてきた中で一番楽しかったころです。

なので逆に書くこともそんなにないです。水泳部で夏だけ適当に活動してました。

勉強は淳子先生のおかげで伸びましたね。

けっきょく地元で一番の公立高校に行きましたが、失敗だったと思ってます。

チャリで5分の所に地元で二番目の高校があったんで、そっちにしておけばよかったといまでも思います。

どっちの高校に行っても結果は変わらなかったと思うんで。

で、高校ってクラス委員って決めるじゃないですか。

その日運悪く風邪ひいて休んだんですよ。

担任の先生から電話かかってきて「なに委員がいい?」って言われたので「委員長以外ならいいです」って答えたんだけど、その後しばらくして電話きて「お前委員長になったから」って言われました。

ほんと教師ってろくでもねえわ。

高校はくそつまらなかったです。
中学時代の友達と遊んでました。

大学は青学に行きました。
で次の年に北大に行きました。

1年間青学に行ったからなのか、北大では僕はそれなりに陽キャだったように思います。

大学時代の友達とは今も結構会って競馬や麻雀なんかしてるので、親友は大事です。
親父サンキューです。

就職は銀行でした。

上司からは常に叱責されて顎関節症になったりして5年で退職しました。

辛かったですね。

職場でどうしても耐えられない状況を頑張ってる人は、無理しないで退職したほうがいいと思いますよ。

銀行辞めて喫茶店始めました。

貧乏だったけど楽しかったなあ。
年末年始くらいしか休まなかったけど、全然ストレスなかったです。

好きなことを仕事にするって最高だと思います。

ただ僕の場合、ちょっと売り上げが足りなかったです。

喫茶店は約6年やりました。

その後はアルバイト3本掛け持ちで底辺の暮らしを味わいました。

いまは普通にサラリーマンしています。

サラリーマンはきついです。

7,8年前に昇進した時に係長会みたいな飲み会があったんですが、そこで別の部署のというか全然別の場所の言葉も交わしたことのない人からこう言われました。

「私さんって全然存在感ないよね。なんで昇進したのかわからない。」と

「どうしていきなりそんなことを言われなきゃならないんだ」と思いましたが、なんとか言葉をひねり出しました。
「評価されてなきゃ昇進するわけないじゃん」って

突然だったので心臓がバクバクしました。

同僚が自分をフォローしてくれているのもなにか情けなくて、早く飲み会終わらないかと思いました。

同僚には恵まれていますけど、ほかの部署の人にはこんな風に時々心無い言葉を浴びせられています。

そのたびに心臓がバクバクします。

記事にも書きましたが、僕の強みのトップが共感性なんですよ。

でもこれ弱みなんじゃないかなあ。

人の悪意とかダイレクトで入ってきますよ。

本当は気のいい常連さんに囲まれて喫茶店のマスターやっていたかったです。

なるべく目立たずに生きていますが、なんか特定の人たちには目をつけられてしまいます。

特にマウントをとる人たちには。

関わりたくないんですけどね。

投資で財産を増やして早めにリタイアしたいなあと思います。

基本的にゆるく生きていますけど、組織にいると嫌なことってありますよね。

自分の今までの人生を振り返って失敗したなあと思うのは、考え方ですかね。

子供のころから苦手なことを克服する性格だったんですよ。

で、大人になってみごとに何をやっても普通な人になりました。

これはどうだったかなあと思います。
こんなだから存在感ないとか言われるのかもしれません。

なんか得意なものを持っている人にとても憧れます。

そんな中でマラソンは唯一得意だと言えるものになりました。

それもいいおっさんになってから。

こころの拠りどころです。

ちっぽけなことかもしれませんが、僕にはすごく大事です。

ブログを読んでくれる人にはなんだろう、元気になってもらいたいです。

元気になる記事書いてる?って気もしますけど。

〜2021年12月28日追記〜

その後2021年3月末をもって退職しました。

同僚や関係先の方、すでに退職されたOBや以前いた清掃の人など、多くの方によくしていただきました。

自分のことながら、ここまで惜しまれつつ辞めることになるとは思ってませんでした。

これから先もずっと感謝し続けると思います。

ありがとうございました。

4〜6月は無職生活を満喫しまして、7〜12月は職業訓練校に通いました。

2021年は生活環境がガラリと変わりました。

目標としていたお金に困らない生活はほぼほぼ達成したと思います。

無職になって新たに始めたことは釣りと読書。

もともと釣りも読書もしていたけど、フルタイムで仕事をしていたらいつの間にか遠ざかっていた。

時間ができると自然とやりたいことをやるようになるみたいです。

この先どうなるのかわかりませんが、レールのない感じを楽しみたいと思います。