審判に左右される競技は見ない
おはようございます、ねこマスタ〜です。
お盆までの10日間は30℃に達する日が何日かあるかもしれません。
ただ夜は部屋を閉め切っても暑くて寝苦しいまではいかない。
僕は冷房も苦手なのでこの環境には満足している。
審判に左右される競技は見ない
パリオリンピックも連日熱戦が繰り広げられている。
世紀の誤審なんて言葉がオリンピックの度に言われる。
僕はほとんどこれら審判に左右される競技は見ない。
それだったら別に見なくていいという感じだ。
正々堂々と闘って勝っても負けても感動するような試合ならいい。
が、しかし
観ていて全く感動しない。
これだったら学校の体育祭の方がよっぽど感動できる。
なのでレベルが上がるほど観ていて面白くないという逆転現象が起きる。
それでもスポーツの根本的な感動をもたらす要素が欠落している気がしてならない。
純粋なタイム競技がいい
前にも書いたことがあるが僕は水泳と陸上が好きだ。
だから審判の恣意的な判断が入る要素がない。
水泳に至ってはレーンも決まっているのでズルしようもない。
そしてオリンピックは最高の選手が集まるので観ていて面白い。
あと陸上のトラック種目は参入障壁が低いのがいい。
水泳だったらプールがないといけない。
球技だと道具がいる。
が、しかし
トラック種目は誰でも出来る。
子供達は道路で練習していた。
でも強い。
アフリカの長距離選手は起伏のある地形を走っている。
しかも子供は裸足だったりする。
これなら道具なんてほとんどいらない。
特にヨーロッパは勝てないならルールを変えればいいじゃんなのでトラック種目とは相性が悪い。
スタートの失敗を2回から1回にしたところでヨーロッパの選手が有利になるわけでもない。
つまり本当の地力が試される。
本人の実力がそのまま結果に反映される。
あとがき
審判の判定も競技のうちなのは分かる。
やはり僕はそれでストレスになるのは勘弁って気分だ。
トップに来たのが共感力だった。
感情移入しやすいんよ。
もちろん一番辛いのは当の選手なわけだけど。
なのでだんだん判定が入る競技は見なくなった。
あとは結果をニュースで知るくらいでちょうどいい。