働いていた時の自分は仮の姿だった気さえする

life

おはようございます、ねこますた〜です。

2月中旬なのにもうすっかり暖かくなってます。

今年の冬はほんと楽でした。

メダカもビニールハウスから出しました。

これだけ暖かいと逆に水温が上がりすぎてしまうんで。

北海道の冬を乗り切ってメダカたちは元気でした。

もしかして生き残っていないのではと思っていたのでかなりドキドキしてました。

働いていた時の自分は仮の姿だった気さえする

大学を卒業してから30年近く働いてきた。

その間色々な仕事を経験して今に至っている。

で思う。

働いていた時の自分は仮の姿だった気さえする。

人生の半分以上を社会人として働いてきたわけだけどそれが仮の姿ってのもね。

でも無職になって毎日自由に過ごしているとそう感じざるを得ない。

なぜなら今は自然だから。

ほとんど制約というものがない。

これが大きい。

今思えばそもそも働くということが制約だった。

9時5時とか。
あるいは社内規程とか。

そして組織では色々な人が働いている。

円滑に業務を遂行するためにはそれなりにコミュ力も使わなくてはならない。

そんな生活の毎日でいつも疲れていた。

今は分かる。

それは気疲れだったと。

かといって自分の素を丸出しで振る舞えば良かったかといえばそんなことはない。

つまらない面倒が増えるだけだったろう。

今の世の中キャラ作りが流行っているというか当たり前みたいになっている。

現実世界とSNSで何個もキャラを持っている人もいる。

すごいなあと感心する。

それが楽しいということだろう。

僕は社会人の頃はキャラを作っている感覚はなかった。

自然にそうなってしまったのだ。

それが一番波風立てずに過ごせたからだ。

好きなことしかしない

今はもうゆる生活なので好きなことしかしない。

だから素である。

キャラを作るのが好きな人はそれでいいが僕はその労力もストレスだった。

そのままが楽でいいんよね。

世の中には一所懸命頑張っている人もたくさんいてそういう人には敬意を払っている。

一方で自分は素のままゆるく気楽にやっていく。

人は人、自分は自分である。

この世に爪痕を残そうなどとは思わない。
誰かに自分を覚えておいて欲しいなどとも思わない。

今この瞬間瞬間を楽しく過ごしていければいい。

そうすればずっと楽しいということだから。

あとがき

キャラをわざわざ作る人って凄いよなと思っていた。

が、しかし

無職になって振り返ると自分も社会人の頃はキャラを作っていたことに気がついた。

学生時代と社会人時代とでは明らかに違いがある。

そんなものなんだと無意識に思っていたのだろう。

今ふたたびキャラを作る必要のない状況になってみて気づいた。

無意識とはいえ結構無理をしていたなと。

だから毎日疲れていたし帯状疱疹なんかにもかかるわけだ。

こうなってみると経済的に自由になったのはものすごく大きい。

普通なら50代はまだまだ働いている年齢。

であれば僕はキャラを作ったまま相変わらず毎日疲れ切っていたのだろう。

そこを抜け出すことができたのだからそりゃ毎日楽しいはずだ。

今ではもう仕事関連の夢も見なくなった。

あれって気になっているから夢に出てくるんだよね、きっと。

たまに昔の職場関連の人が夢に出てくることはあるがのんびりしたものだ。

たわいのない雑談だったり飲んでたり。

切迫した感じが全然ない。

面白いものだ。