怒らない・怒られない世の中になった結果

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おはようございます、ねこマスタ〜です。

今日は雨、北海道内は雪が降っているところもあり寒いです。

さすがにGW明けで雪とかやってないわぁ。

桜咲いたら20℃くらいになって欲しいところ。

怒らない・怒られない世の中になった結果

この間、NHKで筑駒の文化祭を番組でやっていた。

筑駒は東大現役進学率が日本一の学校だ。

つまり優秀な生徒が多く集まっている。

で、校則がないらしい。

これって感覚的には分かる。

逆に校則なんてあると優秀な人には足枷にしかならないのではと思うから。

だから筑駒みたいな学校が自由な校風なのはわかりやすい。

ただ逆を考えるとどうだろう?

例えば底辺高に校則がなかったとしたら。

想像するだけでも恐ろしい。

ていうかどうなるか想像できない。

この自由だとか自主性の尊重みたいな流れはここ20年くらい増している。

いい事だとは思う。

だいぶ怒らない怒られない世の中になった。

ただその結果、差が激しくなったきたと思う。

差が激しい

友達で教師をしているのがいるが今は不登校の場合、無理して行かなくていいよって感じらしい。

友達曰く、スクールカウンセラーからしても、登校させようとしてうまく行かなかった場合責任問題になるからそれを避けているのだと。

つまり生徒のことを考えてあげているようで自分のことだったりするわけだ。

まぁこれは現場の教師の一意見で全てのスクールカウンセラーがそんなわけじゃないと思うが。

ただこの怒ることをしない生温かい優しさみたいなのは万人向けでもないだろう。

理由は忘れたが僕も小学生の頃、学校に行きたくない時期があった。

今の時代に生まれていたら間違いなく不登校になっていただろう。

無理して行かなくていいのなら行かなかったはずだ。

でそれが人生にとって良いことなのかどうかは疑問だ。

大学でかけがえのない友人たちと出会う・出会えるような状態になっていただろうか?

親戚で不登校→20代後半で自宅警備員でゲームばかりしている人がいるが、そうなっていた可能性も大いにある。

筑駒の話に戻るけど、自由にさせるのは優秀な人にはとてもいい環境だろうけど差が激しくなると思う。

優秀な人はよりその才能を伸ばし、どうもならん人は飲食店テロやお年寄りをピコピコハンマーで叩く動画で炎上している。

おそらくそこに行き着くまでに誰からも怒られたり注意をされたこともないのだろう。

だからおかしな事をしている自覚も芽生えない。

怒らない・怒られない世の中だと自分で気づいて修正する能力がすごく重要になってくる。

が、しかし

これは主に優秀な人が持ち合わせている能力だ。

だからトライ&エラーで修正できない人は怒られないし注意もされないとそのままだ。

逆にこれでヨシと自信を深める結果にさえなり得る。

SNSで炎上して世間を騒がせてようやく気づく人もいれば、それでもまだよく分かっていない感じの人もいる。

それだけ差が激しくなっている。

僕の頃は僕を含めて可もなく不可もなくみたいなのを中心として正規分布してたイメージ。

今は大谷さんや将棋の藤井さんや女優の芦田さんなど才能豊かな人がいる一方で、しょうもないことをやらかす人もたくさんいる。

普通の人が減って優秀な人からそうでない人まで幅広く分布している感じだ。

怒らずに自由にさせて褒めて伸ばすみたいな事だと自然とこうなるのではなかろうか。

ちょっと米国っぽくなってきたというか。

あとがき

怒られるのは誰だった嫌だろう。

だから怒らない・怒られない世の中が悪いとは思っていない。

が、しかし

適切な時にちゃんと怒ってやる必要のある人もいるだろう。

基本褒めるというのはいいと思うがそれだけで上手くいくとも思えんのよ。

ただこの怒らない・怒られない世の中が続いていくと、優秀な人からそうでない人までの差がさらに広がっていくだろう。

それがいい事なのかどうか僕にはよく分からない。