人生の最後

life

おはようございます、ねこマスタ〜です。

本州は相変わらず夏日だったりしますが北海道は20℃くらい。

湿度も低くて過ごしやすい秋の日です。

てかもう関東以西は半年夏だよね。

春1月半夏6ヶ月秋1月半冬3ヶ月みたいな。

ちょうどいい四季なのは仙台あたりではないかと思う。

人生の最後

最後は等しくあの世に行くわけだが出来れば穏やかに逝きたい。

こんな風に思う人は多いだろう。

が、しかし。

日本という国はそうではない。

長寿ではあるが安らかに人生の最後を迎えられるのかといえば疑問だ。

全身に管を挿してとにかく生き存えさせたりもうすぐ寿命の人にも手術したり。

これやられると往々にして苦しんで終わることになる。

食べることが出来なくなったら死ぬ。

これはどんな生き物でもそうだ。

人間でも例外ではなく日本以外ではそうだ。

保険を使って無理やり生かせる処置などしない。

が、しかし

日本では全身に管を入れてとにかく延命させたりする。

身内からすればある意味当然の処置なのかもしれない。

だがこれ、全身管状態って痛いらしい。

25年間大病院に勤務した友達が言っていた。

てことは人生の最後に拷問をされているようなものではないのか。

こういう実態は医療関係者以外はあまり知らないことのようだ。

あと高齢者の手術。

90代のお年寄りのガン手術とか。

これは身内が望むというのもあるし、やりたがるドクターもいるそうだ。

学会で発表したりするらしい。

が、しかし

これも前述の友達の話を聞くと疑問だ。

つまりこうだ。

手術は成功したものの呼吸器が外せなくなったりボケてしまったりはよくあるらしい。

ガン組織は摘出したから手術としては成功なのだろう。

が、しかし

その結果、呼吸器を外せなくてコミュニケーションが取れなくなったりする。

またボケたり性格が変わってしまったりもあるようだ。

ガンは最後の最後まで結構自分を保っていられる。

そういう病気だ。

だが手術をすることでそれが叶わなくなる事態が往々にして起きる。

これも医療関係者以外にはあまり知られていないことのようだ。

安楽死

最近安楽死についてのニュースを見る機会がある。

スイスまで行って安楽死するとか。

これは日本では安楽死はできないから。

ただ安楽死の法制化は結構ハードルが高いように思う。

だって無理やりにでも生かせようとする国ですから。

ひとっ飛びに安楽死に行くのは無理じゃなかろうか。

だからその前段階としてせめて諸外国並みに食べられなくなったら寿命を普通にしてほしい。

今はこれさえやれてない。

一時的な胃瘻は問題ない。

が、しかし

終末期の胃瘻は何のためにするのか。

単に年金目当てなのではと勘繰ってしまう。

日本はとにかく死んだらダメという風潮が強すぎるように思う。

もうちょっと、どう生きるのかに光を当てた方がいいのではなかろうか。

みんな死ぬのだからそこへ至るまでの生き様の方が大事なはずだ。

あとがき

医療従事者には常識でもそれ以外の人にはピンとこないということはある。

僕も看護師の友達がいなければ両親を全身管まみれにするかもしれない。

それが痛いなんて発想がないし。

単に良かれと思ってそのような処置を頼むだろう。

こういう話になるとじゃあ亡くなってもいいのかみたいになって収拾がつかない。

だから多くの日本人が安楽死に関してそれなりに肯定していても話は進まない。

なので出来ることと言えばあらかじめ意思表示をしておくことだろう。

延命治療は必要ないと。

たぶんそれが今のところ穏やかに逝ける一番マシな方法だと思う。