人生の最後
おはようございます、ねこマスタ〜です。
湿度も低くて過ごしやすい秋の日です。
てかもう関東以西は半年夏だよね。
ちょうどいい四季なのは仙台あたりではないかと思う。
人生の最後
最後は等しくあの世に行くわけだが出来れば穏やかに逝きたい。
が、しかし。
日本という国はそうではない。
全身に管を挿してとにかく生き存えさせたりもうすぐ寿命の人にも手術したり。
食べることが出来なくなったら死ぬ。
これはどんな生き物でもそうだ。
保険を使って無理やり生かせる処置などしない。
が、しかし
身内からすればある意味当然の処置なのかもしれない。
25年間大病院に勤務した友達が言っていた。
てことは人生の最後に拷問をされているようなものではないのか。
あと高齢者の手術。
90代のお年寄りのガン手術とか。
学会で発表したりするらしい。
これも前述の友達の話を聞くと疑問だ。
手術は成功したものの呼吸器が外せなくなったりボケてしまったりはよくあるらしい。
ガン組織は摘出したから手術としては成功なのだろう。
その結果、呼吸器を外せなくてコミュニケーションが取れなくなったりする。
またボケたり性格が変わってしまったりもあるようだ。
そういう病気だ。
だが手術をすることでそれが叶わなくなる事態が往々にして起きる。
これも医療関係者以外にはあまり知られていないことのようだ。
安楽死
最近安楽死についてのニュースを見る機会がある。
これは日本では安楽死はできないから。
だって無理やりにでも生かせようとする国ですから。
ひとっ飛びに安楽死に行くのは無理じゃなかろうか。
今はこれさえやれてない。
一時的な胃瘻は問題ない。
終末期の胃瘻は何のためにするのか。
単に年金目当てなのではと勘繰ってしまう。
もうちょっと、どう生きるのかに光を当てた方がいいのではなかろうか。
みんな死ぬのだからそこへ至るまでの生き様の方が大事なはずだ。
あとがき
医療従事者には常識でもそれ以外の人にはピンとこないということはある。
それが痛いなんて発想がないし。
単に良かれと思ってそのような処置を頼むだろう。
だから多くの日本人が安楽死に関してそれなりに肯定していても話は進まない。
延命治療は必要ないと。
たぶんそれが今のところ穏やかに逝ける一番マシな方法だと思う。