オリンピックをいつの間にか見なくなっていた
おはようございます、ねこますた〜です。
どうしてここまで見なくなったんだろう?
子供の頃はすごく楽しみにしていたのに。
モスクワ五輪
1980年にモスクワオリンピックがあったんだけど日本はボイコットした。
僕の実家の部屋には今でも箱根駅伝2区を走る瀬古選手の写真が飾ってある。
今では色んなマラソン中継に瀬古さんは出ていて面白おじさんみたくなっているけど、僕の中では現役時代の出れば必ず優勝という圧倒的なイメージの方が強い。
そのころが一番僕はオリンピックに燃えていて、以降だんだんオリンピックに対する関心が下がり続けて今日に至る。
たぶん最初のきっかけは、ボイコットという政治的な動きで興醒めしたからだと思う。
そしてついに今回の冬季北京オリンピックはほとんど見ていない。
勝ち負けを目の当たりにするのがキツい
オリンピックだからというかスポーツには勝ち負けはつきものなので、これを言ってしまえばどうしようもないんだけど。
僕はみんな一緒は大嫌いだし、勝ち負けはどうしたってついてしまうと思ってる。
が、しかし
特に個人でも団体でも2者しかいない場合、どちらかが勝者でもう一方は敗者となる。
もうちょっと若い頃だったら、勝者は素晴らしいし敗者も最後まで全力を尽くして感動したみたいになっていたんだけど、今はそこまで見ていられない。
それに、人間がジャッジする種目では毎度毎度必ずと言っていいほど疑惑の判定が起きる。
それも引っくるめてスポーツなのだろうけど、そういうのはもういいかなってなりました。
マラソンはまだ見れる
走ることが好きだというのが大きいのだけど、マラソンはまだ見ていられる。
そもそも何十人何百人と出場しても優勝候補って5人くらいのものだから。
それに途中で遅れ出すのも、自分のスタミナ切れか脚が動かなくなったかのいずれかなので、見ている方も納得できる。
だから優勝争いに絡まなくてもそれぞれの選手が自分のベストを尽くして走っているので、オンリーワンを目指すみたいなことをしやすい。
そういう競技はまだ見ていられる。
あとがき
ゆるく生きることに慣れてというか、元々ゆるく生きていきたいと思いながらやっていきたから、勝ち負けはっきりみたいなのは合わなくなるのは当然か。
自分のベストは尽くそうと思うし、仕事はきちんとやるんだけど他者との比較という視点は全く持っていなかった。
だから勝手にライバル視みたいなことされると迷惑以外の何者でもなかったです。
分かってくれる人たぶんいると思います。
でも日本選手は応援しています。