怒らない・怒られない世の中になった結果
おはようございます、ねこマスタ〜です。
さすがにGW明けで雪とかやってないわぁ。
桜咲いたら20℃くらいになって欲しいところ。
怒らない・怒られない世の中になった結果
この間、NHKで筑駒の文化祭を番組でやっていた。
つまり優秀な生徒が多く集まっている。
で、校則がないらしい。
これって感覚的には分かる。
だから筑駒みたいな学校が自由な校風なのはわかりやすい。
ただ逆を考えるとどうだろう?
想像するだけでも恐ろしい。
この自由だとか自主性の尊重みたいな流れはここ20年くらい増している。
いい事だとは思う。
だいぶ怒らない怒られない世の中になった。
差が激しい
友達で教師をしているのがいるが今は不登校の場合、無理して行かなくていいよって感じらしい。
つまり生徒のことを考えてあげているようで自分のことだったりするわけだ。
まぁこれは現場の教師の一意見で全てのスクールカウンセラーがそんなわけじゃないと思うが。
理由は忘れたが僕も小学生の頃、学校に行きたくない時期があった。
今の時代に生まれていたら間違いなく不登校になっていただろう。
でそれが人生にとって良いことなのかどうかは疑問だ。
大学でかけがえのない友人たちと出会う・出会えるような状態になっていただろうか?
筑駒の話に戻るけど、自由にさせるのは優秀な人にはとてもいい環境だろうけど差が激しくなると思う。
おそらくそこに行き着くまでに誰からも怒られたり注意をされたこともないのだろう。
だからおかしな事をしている自覚も芽生えない。
が、しかし
これは主に優秀な人が持ち合わせている能力だ。
逆にこれでヨシと自信を深める結果にさえなり得る。
それだけ差が激しくなっている。
僕の頃は僕を含めて可もなく不可もなくみたいなのを中心として正規分布してたイメージ。
普通の人が減って優秀な人からそうでない人まで幅広く分布している感じだ。
ちょっと米国っぽくなってきたというか。
あとがき
怒られるのは誰だった嫌だろう。
が、しかし
適切な時にちゃんと怒ってやる必要のある人もいるだろう。
ただこの怒らない・怒られない世の中が続いていくと、優秀な人からそうでない人までの差がさらに広がっていくだろう。