運の量は一定ではない

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おはようございます、ねこマスタ〜です。

いいお天気ですが風が強いので釣りに行くのは明日にしてのんびりブログ書いてます。

ホッケフライ食べたいです。

今年の目標はサクラマスとブリを釣りたいっすね。

運の量は一定ではない

学生のころ麻雀をやっていて運の量は一定だぜ!と言って危険牌を勝負していた。

これは今ツイてなくても運の量は一定だからそのうち自分にもいい目が来るという意味で使っていた。

当時はそんなものだろうと思っていたのだ。

が、しかし

今は違う。

運の量は一定ではない。

厳密には一定なのかもしれないが明らかにそれを活かしている人とそうでない人がいる。

つまり運を活かす人はさらに運を活かす好循環になる。

一方で運を活かさない人は何も変わらない。

そう考えると運というものは人がどうにか出来るものではないというのは違うように思う。

そう

運はどうにか出来るものだ。

というかどうにか出来ると思いながら過ごしていると実際にそういう場面に出くわした時に確変したりする。

でそのうちに運は準備したものに訪れるということが分かってくる。

そうなると好循環だ。

ここまでくると運の量は一定ではない。

意識している人とそうでない人の差は開く一方だ。

案外気づかないものだ

僕の知り合いに仕事のできる人がいる。

が、しかし

お金にはかなり苦労している。

その人曰く

月18万円くらい欲しい。

だから僕は前職を紹介した。

求人も出ているのだが出し方が下手で満足に人が集まらない。

働いていた僕からすればホワイト企業なんだけども。

実情を知っている僕は給与体系なども詳しく説明して2年目からは年収300万円くらいになると話した。

正直年収300万円は高くないが月18万円はクリアしている。

でも相変わらず知り合いは派遣で週5働き週末にスポットでバイトを入れている。

それでギリギリ月18万円をクリアする感じ。

身体にも相当な無理が来ている。

なので僕は真剣に前職の説明を2回した。

でも変わることはない。

こんなものだ。

その人なら間違いなく採用されるし2年目には正社員になるのが僕には見えているが。

決めるのは本人だ。

チャンスは仲の良い友人よりも知り合い程度の繋がりからもたらされるものだ。

僕とその人の関係もそんなもの。

ただこれ知り合い程度だから話を真剣に聞かないというマイナス面もある。

僕はもうこれ以上勧めるつもりもない。

2回同じ話をすれば十分だ。

これも一つの運と言えるだろう。

活かすもそうしないのも本人次第なのだ。

あとがき

とりあえず何でもやってみるというのはかなり有効だ。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。

これ、皮肉で使われることの方が多い気がするけどね。

でもとっても大事なことがある。

変化することで分かることがあるってこと。

じっとしていたら気づかなくても状況が変化して分かることってある。

だからとりあえず何かやってみて状況の変化を感じるのはいいことだ。

その結果、思いがけないことが起きたりする。

ただ何でもやってみるとは言っても明らかに胡散臭いのは別だ。

物を運ぶだけで30万円とかさ。

そういうのは常識で判断するところだ。

そんなことを考えていると運を認識しながら過ごしている人ってあまりいない気がしてきた。

でもたぶん長い目で見ると運を意識しているかどうかはかなり生活に差が出てくると思われる。