歴史を共に作る存在、それが友達
おはようございます、ねこマスターです。
今年は涼しくてランニングが捗ります。
ってかこの時期で夏日にもならないと少々寒いくらいだ。
酷暑日の本州からは15℃以上低い。
平年並みの気温だとTシャツって出番がほとんどない。
歴史を共に作る存在、それが友達
子供の頃、よく父親に友達を大事にしろと言われてた。
なぜ大事にしなくてはいけないのかみたいな疑問を感じることもなくそうしていた。
僕の中では友達は大事であるというのは当然のこととしてあった。
歳を取った今、友達がいることに本当に感謝している。
歴史を共に作る存在、それが友達なのだと。
思い出というのは自分一人で作り出せるものではない。
もちろん、一人旅みたいなパターンなどもあるにはある。
が、しかし
それだけではない。
というか自分以外の誰かが関わっている場合の方が圧倒的に多い。
その中心を占めるのが友達だ。
過去を振り返って自分史をなぞってみた時に
友達の存在が大きいことに気が付く。
もしそれを全て取り除いてしまったら思い出はずいぶんと色褪せてしまうだろう。
この歳になってようやく父親が友達を大事にしろと言ってた理由が分かった気がする。
子供の頃は言われるままに友達を大事にしていた。
親の言うことを素直に聞いといて本当に良かった。
友達の存在はお金に換算できない。
お金をかけたから友達が作れるわけじゃない。
友達サービスみたいなのはあるかもしれないが。
なんかランニングの脚作りに似ているなと思った。
サブ3を達成するためにはそれなりに走り込まなければならない。
お金を払ったらサブ3が達成できるわけじゃない。
自分自身が動かなければならない。
友達作りも似ている。
1万円あげるから俺の友達になってくれなんてことにはならない。
きっかけは色々だろうが一緒にいる時間が増すにつれていつの間にか友達になっている。
よくアニメだと僕の友達になってくれませんかみたいなのがあるが。
そんな経験はしたことない。
なんとなく気があってよく遊んでいるうちに友達になっているパターンがほとんどだ。
で今も年末には毎年7〜8人集まる。
つい最近は5人で競馬をしに行ってきた。
こんな感じで60近くなっても友達との縁が切れることなく続いている。
あとがき
仲間の誰も友達関係が終わるとか全く思ってない。
40年も続いている関係ならそりゃそうだ。
それよりもちゃんと健康に気をつけて早死にするなよみたいな方が話題になる。
僕は友達が大事だと思って生きてきたが。
友達もまたそう思って生きてきたんだなあと思える。
こうしてまた自分史の一部が作られていくのだろう。