だらだらした時間が必要だ
おはようございます、ねこマスタ〜です。
来月からは職業訓練に通うので、規則正しい日々が始まります。
なのでひたすら自由時間だったこの3ヶ月間を忘れないように書いておこうと思いました。
今を楽しめない
社会人になって何十年も経って身体に染み付いたものがある。
例えばこんな感じ。
この案件はたぶん最終的にこの辺に落ち着く。
ただその前にうるさ型の人たちに話を通しておかないと面倒臭くなるから、今のうちに何気ない会話の中で触れて感触を確かめておいた方がいいな。
で、1回関係者集めて打ち合わせやりそうだから簡単な資料作っとくか。
一日単位でみると、午前中に面倒臭いのをやっつけて眠くなる2~3時はあまり頭使わない仕事して夕方は突発的なことに備えて余裕持たせておくとか。
でこれ、仕事をする上ではいいんだけど結局プライベートでもそうなっていた。
普段仕事のある日はプライベートの時間はせいぜい2~3時間だったから、そこも効率的に過ごすということを当たり前のようにしていた。
効率的にやるってのは悪いことではないのだけどなんだろう?
まず走ってメシ食って天鳳やってアニメ見て
これでもう夜中の12時近い。
走るのも天鳳もアニメ見るのも好きでやっていることだけど、それらを詰め込むと一日がきっちり終わるというのはなんだかルーティンワークっぽいんですよ。
それでも楽しんでやっていれば別にそれでいいんです。
が、しかし
みんなで集まって麻雀していても、明日の仕事はまずこれを片付けてみたいな思考になってましたよ。
今を楽しむことが出来ない人になってました。
効率的なのは便利だが
以前は図書館で一日かがりで調べていたようなことでも、今ならネットで数分で検索できる。
だから間違いなく昔より便利になっている。
僕もそんなことはしない。
だが、便利になった=幸福度が上がるかといえば微妙だ。
便利になればなるほどコストパフォーマンスの概念が自然に入ってくる気がしている。
そうなるとより多くの情報量を処理できる。
意識するしないにかかわらずね。
で、これが幸せなのかといえばやっぱり微妙だわ。
だらだらした時間が必要だ
学生時代は結構だらだら過ごしていたが、社会人生活を30年もやると効率的に手際よくやる人に変わる。
今日は午前中にアレして昼過ぎからコレしてみたいなのを毎朝当たり前のように考えていた。
実際は考えていたというよりも、自然とそういう思考になっていた。
が、しかし
毎日が日曜日なわけですよ。
別に仕事のように効率的に処理していく必要はないんだよね。
昨日たまたまデパートに行ったら本屋さんがあったから、用事の帰りにちょっと寄った。
これが、効率よくやろうとすると本屋はパスするか、あるいは初めから今日は本屋に行こうと計画するかみたいなことになる。
そうじゃないんだよなあ。
のんびり生活も3ヶ月目に入ってようやく身体がそれに気づいた。
もともとそういう性格だったと思うのだが、永年の効率的な社会人生活ですっかり変貌していた。
効率的ではない無駄の多い子供時代。
でもこのだらだらした時間は必要だと思う。
どんな時も人間の脳って常に何か考えているから。
せっかく時間があるんだから余裕を持てばいいんだよね。
あとがき
今を楽しめないというのは結構前から感じていた。
大学卒業して銀行員になってすぐにそうだった。
GW明けには融資の起案通さないと間に合わないとかそんな感じ。
これで30年やってたら身体に染みつくよね。
だけどこの6月に友達の畑を手伝いに行った時はすごく楽しめた。
畑仕事の後バーベキューしたけど、その瞬間をすごく楽しめる自分がいた。
ようやく効率の呪縛から逃れたというか、明日はコレしなきゃみたいなのがない生活になったからというか。
いずれにしても、僕にはだらだらした時間が必要だ。