普通がありがたい

life running

おはようございます、ねこますた〜です。

以前NHKスペシャルで「人体」というのをやってましたけど、それを本にした臓器たちは語り合うが図書館にあったので借りてきて読んでます。

まだ半分くらいですけど面白いですねえ。

テレビで一度見ているからかもしれないけど、あらためて本でじっくり読むとよく分かります。

映像って分かった気になるんだけど案外覚えてないですから。

とりあえず、運動は人体に好影響を及ぼしているのは理解した。

普通に走ることができる喜び

1月3日の箱根駅伝復路を観ながらランニングマシンで過去最高の負荷を与えて走っていたら右脚がつりました。

実はそのあと今まで満足に走れなくて、旅行中も足を引きずってました。

僕の母校青学と親父の母校中央大学がどちらも大健闘していたのでついつい盛り上がってしまいました。

結局今月は普段の半分くらいしか走ってない。

ケガというか体調管理って大切です。

僕は過去何度も右ふくらはぎを痛めているんだけど今回もそう。

おそらく走り方に問題があるんだよね。

調子のいい時は筋肉痛はお尻や太ももに出るんだけど、ダメな時はふくらはぎに出る。

ふくらはぎの筋肉量はお尻や太ももよりも少ないから、ここに負荷がかかっているのはやはり走り方なんだろうなあ。

昨日の都道府県女子対抗駅伝での不破さんみたいなフォームが素晴らしいけど、やはり体幹が重要だなと感じる。

僕は筋トレや体幹トレーニングは全くやらないから。

だから故障するんです。

分かっちゃいるんだよね。

ただまぁもういい歳なんだからゆっくり走っていればいいんでない?という考え方もある。

臓器たちは語り合うでも運動は効果的と書いてあるけど、別に激しくやる必要はなさそうだし。

ようやくこうして普段どおり走ることができるようになって、普通って素晴らしいと実感している。

普通がありがたい

今回みたいに故障したり、あるいは病気にでもなれば普通のありがたみが分かるんだけど、大抵の場合すぐにその時の気持ちなど忘れてしまう。

でまた病気になったりして。

ただそんなことを50代まで繰り返してくると、流石に普通がありがたいということを実感できるようになる。

自分の両親を見ても満足に歩けるとは言いがたい。

それが自分の30年後の姿なのだとすれば、普通に過ごせていることはものすごくありがたいことなんじゃないだろうか?

何というか、これは僕だけではないと思うんだけど、思考として今の自分に何かを付け加える的な発想というかプラスアルファみたいなものを考えがちというかね。

それはそれでポジティブでいいのかもしれんけど、今の状況も普通にありがたいよねという視点は持っておいた方がいいのかなあ。

僕くらいの歳になると気力・体力は落ちていくだけなので。

たぶん80代の僕が50代の僕を見たら動けていいなぁと思うはずだから。

あとがき

箱根駅伝を見てついつい負荷をかけまくるとか、まだまだ僕にも若さ?が残っているのかなと思ってみたり。

が、しかし

結局故障して走れないと何やってんだかってことになる。

体脂肪も2%ほど増えてきた。

こういうのってすぐに出るよね。

箱根でも故障明けで満足な走りができない選手がいたけど、故障すると大会にピークを持っていくのは難しいだろう。

現状維持って言葉は悪いかもしれないけど、ベースとして現状維持があってそれはとてもありがたいことだという感覚は持っていたい。