最適化の罠

life

おはようございます、ねこマスタ〜です。

今日も秋晴れのいい天気です。

北海道の短い秋を楽しんでます。

そろそろ夏枯れしていたアイナメを狙ってみます。

北海道ではアブラコというこの魚。

僕は刺身で食べるのが好きですね。

コリコリして美味いんです。

最適化の罠

以前OSO18駆除の話を書いた。

苦情の電話が役場やハンター本人宅に殺到していると。

で今度は秋田県でクマを駆除したら同様のことが起きているらしい。

やはり抗議の電話は県外から来るようだ。

野生のクマはプーさんではない。

一撃で人間を殺すことができる動物だ。

それが人の生活圏に現れて人間が怪我を負うことが度々起きている。

住宅街でいきなり背後からクマに襲われるとか通り魔殺人と大差ない。

クマを殺すなという人たちの想像力の欠如はどうにもならないのだなぁと思ってしまうわけだ。

が、しかし

これって最適化の罠なのではなかろうか。

陰謀論にハマる人たちと一緒なのではないかと。

今どきネット環境がない人はまずいない。

だがこのネット環境というものは個人に最適化されやすい。

好みや嗜好などをデータから拾い上げて興味のありそうなものを提供してくる。

例えば釣竿を検索したとしたら、他のWeb上でも釣竿の広告がバンバン入ってくるみたいな。

そうやって個人の興味のあるものが優先的に上がってくる。

そう考えてみるとクマの件も見えてくるものがある。

大多数の人にとっては市街地に現れるクマを駆除するのはしょうがないって感じだろう。

積極的だろうが消極的だろうが駆除すること自体に文句は言わないはずだ。

が、しかし

クマを殺すなという人たち。

この人たちはおそらく日頃からそのようなコミュニティーにどっぷり浸かっているものと思われる。

陰謀論にハマる人たちと同じだ。

世間的にはごくごく少数であっても、同様の考えの人たちだけが集まれば関係ない。

自分たちは正しいになる。

逆に自分たち少数の人間しか正しさに気づいていないくらいの感じになる。

だから中には自分たちの思考についてこれないその他大勢を下に見るような人さえ現れる。

そのような人に例えば市街地で普通にクマに襲われる状況をなんとも思わないのですかみたいなことを言ったところで話は噛み合わない。

自分に都合のいい情報しか受け付けない体質になっているともう無理だ。

最適化しすぎるのは良くない。

この手の人は多くなる

昔は同好の士を集めるのは簡単ではなかった。

なぜなら基本対面だったからだ。

その上で相手の嗜好を知り、同じ趣味や考えの人と知り合うみたいなプロセスを辿った。

が、しかし

今はネットがある。

簡単に自分と同じ嗜好のサークルを見つけることができる。

またネット環境そのものが自分の嗜好に合ったものを提供する仕組みになっている。

そうなるとネットには様々な人が繋がってはいるものの、自分が見ている範囲はかなり狭いものになっている。

なぜなら最適化されているからだ。

日常生活の中であれば自分の興味ないことも視界に入ってくる。

が、しかし

ネットだとそういう情報は出来るだけ取り除かれ自分の嗜好に合うものが選ばれる。

だから定年退職した親が陰謀論にハマってみたいなことが普通に起こる。

会社勤めしていればまだ多様な人と接するわけだが引退してネット三昧になるとそうはいかない。

自分にとって耳障りのいい情報しか取りにいかなくなるし、そのような情報が優先的に入ってくる。

だから今後も住宅街のクマを駆除するのにギャンギャン言う人や肉屋に嫌がらせをするビーガンや線路に平気で侵入する撮り鉄は後をたたないだろう。

なぜならそれらのコミュニティーではそれが普通だからだ。

あとがき

Youtubeなんかも同じような動画が表示される。

自分の視聴履歴をもとに出しているのだろう。

だから検索機能を使ってあえて見たことのない動画を探したりしている。

いつの間にか最適化されているってことを実感していないとマズい気がするんで。

ネットは便利だが自分にとって都合のいい情報や居心地のいいものが表示されがちなのは覚えておかないといけない。

世の中にはいろんな人がいる。

理屈ではわかっていても実際にそれを生活に落とし込むのは案外難しい。