つながっている感

life

おはようございます、ねこマスタ〜です。

昨日まで友達が遊びにきていて飲みすぎました。

お酒に関しては全く学習しない。

ついつい飲みすぎてしまう。

で次の日に具合悪い。

今日はそのまた次の日だけどまだ具合が悪い。

魚のストックがなくなったので釣りに行こうかと思ったけどのんびりブログを書くことにした。

この辺の感覚は競馬でいう出たなりってやつです。

自分の身体や精神の調子次第でその日の行動を決めてます。

つながっている感

僕はたいていランニング・釣り・畑仕事・ブログのうちのどれかをやっている。

これらはどれも好きなことだ。

どれか一つだけやることもあるし、複数することもある。

さすがに1日で全部することはないけれど。

やってやれないことはないが、それはゆるく生きるって感じじゃないから。

それにいくら好きなことでも詰め込みすぎるのはなんか良くない気がするわけ。

やりすぎは長続きしないと思うんよね。

でこのランニング・釣り・畑仕事・ブログなんだけど一見全てバラバラのように見える。

あまり関連性がある感じもしない。

が、しかし

つながっている感って視点では別の見方が出来る。

人類が昔からやっていたこと

ランニングをしている時にふと思った。

なんかつながっている感あると。

人類は太古の昔から走っていたのだろうなぁってのが腹落ちした瞬間があった。

今走っている自分もその延長線にあるのだと。

特に北海道みたいな自然豊かなところを走っているとその感覚になりやすいのかもしれない。

オフロードとかトレイルとか。

でランニングでこの感覚を味わうと、釣り・畑・ブログでも同様の感覚を得るようになった。

釣りや畑仕事も人類は少なくとも数千年前からやっている。

ブログは日記がわりに備忘録として書いているけど、平安時代には日記の形態をした同様のものがすでにあった。

なので今僕がやっていることはその延長線上にあるって感覚がするんですよ。

これが何かこう、ちょっとした充実感をもたらすというか。

いい感じなんですね。

あとがき

普通つながっているというのはSNS等で誰かとつながっているみたいなことを指すだろう。

つまり今生きている人とつながっているということ。

これに対して僕のつながっているは過去の人。

すでにこの世にはいない人や人類とつながっている感覚。

その人はすでにこの世にはいなくても、走ることや作物を育てることは受け継がれていく。

この辺の感覚が身体で感じ取れるようになった。

それが何だろう、ちょっと面白いというか。

僕もあとせいぜい20〜30年の命だろうが人間が走ることや畑仕事をやめることはないだろう。

将来そういうことが必要無い世の中になったなら、それはもしかして人類の危機なのかもしれない。