ぴんぴんころり

life

こんにちは、ねこますた~です。

今は神奈川の実家で書いてます。

2月14日に父親が大動脈解離で突然亡くなったので翌日からこちらに来ています。

子供のころから、親が亡くなったらどんな気持ちになるんだろうと考えたことは何度もありますが、実際に父親が亡くなってみると不思議と涙は出てきません。

ぴんぴんころり

父親は80歳を過ぎても会社をやっていて、亡くなる当日も普段どおりの生活をしていたので、僕からするとやりたいことをやった人生だったでしょという感じ。

なので亡くなったと聞いても悲しみはそれほど湧いてこなくて、それよりも親父生き切ったな!という気持ちの方が圧倒的に強い。

あまりにも去り際が鮮やかすぎて見事だとさえ思ってしまう。

こういうのをピンピンコロリというのだろう。

自分も亡くなる時はこうありたいと思った。

通夜

僕は田舎の感覚で、てっきり亡くなった翌日が通夜だと思って黒い礼服姿で飛行機に乗って駆け付けたのだが、通夜は1週間後の21日だった。

都市部は亡くなる人が多くて葬儀を上げるにも混みあっているらしい。

なんということだ。

そんなわけで、今日までご遺体は自宅に安置されている。

これはこれでとても不思議な感じがする。
遠目には生きてるように見えなくもない。

一日に何度かお線香をあげている。

少しボケの入った母親がおじいちゃん起きてと枕もとで言うのを聞いたときはさすがに泣けてきた。

最後の贈り物

佐川急便から代引きで1万4千円で荷物が届いた。

何かと思えばシェーバー。

親父が買ったようだ。

しかもジャパネットたかた。

テレビを見ていてついつい頼んだに違いない。

その光景を想像したら笑ってしまった。

お金を払ったはいいが、買った本人は隣の部屋で永遠に寝ている。

なんだかシュールだ。

とりあえず親父からの最後の贈り物だと思ってありがたく頂戴することにした。

あとがき

書けばいくらでも書けそうだが、ささっと簡単に書くのがいいような気がしたのでそうする。

ただ肉親の死に直面することなど滅多にないので、その時の気持ちというか感覚を覚えておきたかった。

たぶん不慮の死だとか若すぎる死だったら悲しみに暮れていたのだろうが、85歳になるまで普通に生活していたから人生を全うしたんじゃないかと思っている。

と、これを書いている間に納棺が終わった。

まるで映画で見たおくりびとのようだった。

六文銭を袋に入れたりと知らないことだらけだ。

なんにせよ、丁寧に扱っていただき感謝いたします。

当たり前のことだけど、ご遺体はとても冷たかった。

親父、俺もそのうち行くよ。

できれば同じようにぴんぴんころりで行きたいよ。