すでに足りている
おはようございます、ねこマスタ〜です。
今日は結構な雨予報なのでブログ日和といえます。
だいたいは朝起きた時の気分で何するかを決めるけど雨だと畑仕事や釣りはない。
家の中ですることだとブログ・Youtubeなどになる。
あとは掃除・洗濯に包丁研ぎとか。
こんな感じでなんとなくやる事が決まるのが好きだ。
夢・目標
夢や目標を持つのはいい事だと思う。
が、しかし
それもほどほどにしておいた方がいいのではなかろうか。
夢や目標を持つとそれに向かって頑張る。
若い頃に受験というものがあって僕も人並みには頑張った。
頑張ったけれども楽しいわけじゃない。
つまり夢や目標に向かって進んでいる状態って大変だったり苦しかったりするわけだ。
当然といえば当然。
その大変さを乗り越えて目標を達成したからこそ充実感を得られるというもの。
が、しかし
達成した瞬間から大抵次の夢なり目標が芽生えるものだ。
僕は老後2000万円問題というものがあってから資産2000万円を目標にしてきた。
それを達成した今3000万円を超えたらいいなぁと思っている自分がいる。
ただそれを目標にしてしまうと普通に働くことになる。
で3000万円を達成したら次は5000万円にしたいと思うだろう。
だからそのために働くことになる。
これだといつまで経ってもFIREできない。
すでに足りている
僕は2000万円をクリアした時点でFIREした。
すでに足りていると思ったからだ。
普通は厳しいだろう。
僕の住んでる街では車を所有していて家賃が7〜8万円くらいというのが多いと思うけど、それだと2000万円で無職は厳しい。
年金受給までの10年間で相当資産を減らすだろう。
だからこの足りているという感覚も人それぞれ。
僕は車も持ってないし居候で家賃もかかってないからこれで問題ない。
畑仕事して釣りに行ってランニングして
ブログ書いてYoutube上げて
麻雀・競馬・小旅行して
これですでに足りている。
今を楽しむ
足りていると思うと今を楽しめるようになる。
夢や目標を持つと今は通過点になってしまいがちだ。
これはもったいない。
勝って兜の緒を締めよという言葉がある。
いい言葉だとは思う。
本物の戦いならこれでいいだろう。
が、しかし
これだといつまで経っても楽しくならない。
自分の人生を考えた時に、あまり真剣に目標を立ててもどうなのだろう。
そもそも自分の思った通りにはいかないものだ。
それならば今を楽しむ中で好きなことをしているうちに新たなことをしていた、みたいな方が面白い気がする。
あとがき
人生の残り時間が少なくなってくると有意義に過ごしたいと思うようになるようだ。
わかりやすいのは余命宣告を受けた人だろう。
本当に自分がしたい事は何なのかと向き合うようになる。
でもこれって実はみんなそうだろう。
だって人っていつ死ぬかわからないし。
ぼんやりと平均寿命まで生きる気でいても、事故などで亡くなる可能性はある。
だからすでに足りていると思っていた方が毎日を楽しく過ごすことができる。
ネット上のいわゆる成功者やエセ成功者のキラキラした部分には惑わされないようにしたいものだ。
上を見上げればキリがない。
その罠にハマると満足するということがなくなる。
そうならないためには足りている部分に目を向けることだ。