信じれば信じてもらえると思うのは中二病なのか?

life

おはようございます。ねこますた~です。
今日も無観客の中央競馬みながら書いてます。

子供のころはしょっちゅう親から「友達を大事にしろ」と言われてました。「若いころの友達は一生ものだ」とか「大人になってからは真の友人はできない」とかいろいろ教えこまれていたんです。

そんなしつけのせいなのかは分かりませんが、子供のころは周りの人を無条件に信じるみたいな性格になってました。

  • すべてを信じていた小学校時代
  • 先生は信用しない~大学まで
  • 社会人~

すべてを信じていた小学校時代

子供の交流範囲って大して広くなくて、せいぜい友達と親と先生くらい。

だから周りの人を無条件に信じてもそんなケガしないです。

子供同士でだましたり、わなにはめたりみたいなことはなかったですし。

先生の言うことも絶対だと思って守ってました。
まあそれはぶん殴られてガラガラと崩壊しましたが。>>人は不条理によって鍛えられるが程度があるより

小学校当時の友達と今も付き合いがあるのかと言えば、ないですけど、友達と楽しく遊んでたことが素直に人を信じる性格につながってるかなと思います。

先生は信用しない~大学まで

ただし先生は別。
わけもなくぶん殴られて180度考えが変わってしまいました。

ただこれも危ういというかガキっぽいというか…

たった一度の経験で正反対の思考になるってどうなんですかね?

すでにこのへんが中二病ってやつかもしれません。

以来、先生は信じてませんでしたし、先生と名の付く職業の人も信じてませんでしたね。

例外は淳子先生だけでした。

じつは中学生になっても何人かの先生からは平手打ちを食らってますが、それはふざけていたり、部活さぼったりで僕が悪いので何とも思わないです。

今だったら、それでも平手打ちはダメだろうみたいなことかもしれませんが、自分に原因があるんだったらその辺はぼくは気になりませんね。

それよりも、先生のイライラのはけ口みたいなので不当な仕打ちをされたりするのは我慢できませんでしたね。

表題の信じれば信じてもらえるは自分の身近な人に対してですね。

大学まではこれでいけました。

よくドラマとかアニメでありますよね。

俺たち一生友達だぞみたいなの。

毎年、学生時代の友人10人くらい集まって泊まりで酒飲んだり麻雀やったりするので、若いころの友達は一生ものだと言っていた親の教えは正しかったと思うし、信じれば信じてもらえるという考え方もいいと思うんですよ。

ここまでは。

社会人~

社会に出ると一気に交際範囲が広がるじゃないですか。

いままでは友達とそれ以外。
それ以外って言っても関わりがあるのは親と先生くらいですから、先生は信じないけど他は信じるみたいな二択でOKだったんです。

だけど社会人になると、そもそも自分が大人になってるし仕事なんかでも関わる人がすごく増えてくるわけですよ。

このときに、信じれば信じてもらえるみたいな考えをフワッと全てに適応してしまいました。

ここがいまだに自分の中で結論が出ていない部分です。

これってだましたい人からすれば、格好のカモじゃないですか

おいしい話はないでも書いてますが、怪しげなセミナーにお金つぎ込みましたし、ほかにも目が良くなる機械とか買っちゃったり、人に騙されて万札1ブロック飛ばしちゃったり、新興宗教入っちゃったり、マルチ商法やっちゃったりと散々な経験をする羽目になりました。

これ書いていて、「あらためて結構悲惨」とか思います。

騙されて一千万飛ばしたときには、親からこう言われました。

いい勉強になったじゃない
by 親

もう「は?」って感じでしたが、親はそのうちこうなると思っていたみたいで、早く気づいてよかったでしょみたいな反応でしたね。

よくSNSなんかでインフルエンサーの人が「Give Give 圧倒的なGive」みたいなこと言っていて、これってすごく共感できるんです。

人を信じるって基本Giveだと思うんで。

ただそれで僕はなけなしの財産吹き飛ばしたりしているんで、「どうしたもんだか」ってのが正直なこころもちです。

人を見る目を鍛えよってことかもしれません。
でもこれって言うほど簡単じゃないと思うんですよね。

まとめ

新興宗教やマルチ商法はもうやってませんが、こんな僕を見捨てないでいてくれた友達には本当に感謝しています。

財産は何度もリセットしていますが、友達には恵まれました。

そういう意味ではどこかでバランスが取れるものなのかもしれません。

信じれば信じてもらえると思うのは中二病なのか?に関してはぼくの中では相変わらず結論は出ませんが、折り合いをつけてやっていくしかないですかね。

結論のでない話を最後まで読んでくれてありがとうございました。