最適化の罠
おはようございます、ねこマスタ〜です。
北海道の短い秋を楽しんでます。
北海道ではアブラコというこの魚。
コリコリして美味いんです。
最適化の罠
以前OSO18駆除の話を書いた。
苦情の電話が役場やハンター本人宅に殺到していると。
やはり抗議の電話は県外から来るようだ。
野生のクマはプーさんではない。
それが人の生活圏に現れて人間が怪我を負うことが度々起きている。
クマを殺すなという人たちの想像力の欠如はどうにもならないのだなぁと思ってしまうわけだ。
これって最適化の罠なのではなかろうか。
陰謀論にハマる人たちと一緒なのではないかと。
だがこのネット環境というものは個人に最適化されやすい。
好みや嗜好などをデータから拾い上げて興味のありそうなものを提供してくる。
そうやって個人の興味のあるものが優先的に上がってくる。
大多数の人にとっては市街地に現れるクマを駆除するのはしょうがないって感じだろう。
が、しかし
クマを殺すなという人たち。
陰謀論にハマる人たちと同じだ。
自分たちは正しいになる。
逆に自分たち少数の人間しか正しさに気づいていないくらいの感じになる。
そのような人に例えば市街地で普通にクマに襲われる状況をなんとも思わないのですかみたいなことを言ったところで話は噛み合わない。
最適化しすぎるのは良くない。
この手の人は多くなる
昔は同好の士を集めるのは簡単ではなかった。
その上で相手の嗜好を知り、同じ趣味や考えの人と知り合うみたいなプロセスを辿った。
今はネットがある。
簡単に自分と同じ嗜好のサークルを見つけることができる。
そうなるとネットには様々な人が繋がってはいるものの、自分が見ている範囲はかなり狭いものになっている。
日常生活の中であれば自分の興味ないことも視界に入ってくる。
が、しかし
だから定年退職した親が陰謀論にハマってみたいなことが普通に起こる。
自分にとって耳障りのいい情報しか取りにいかなくなるし、そのような情報が優先的に入ってくる。
なぜならそれらのコミュニティーではそれが普通だからだ。
あとがき
Youtubeなんかも同じような動画が表示される。
だから検索機能を使ってあえて見たことのない動画を探したりしている。
いつの間にか最適化されているってことを実感していないとマズい気がするんで。
世の中にはいろんな人がいる。
理屈ではわかっていても実際にそれを生活に落とし込むのは案外難しい。